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生まれては苦界死して浄閑寺その昔吉原遊郭に売られ亡くなられた霊を供養する総霊塔 [格差社会]

090509-1.jpg[カメラ]江戸唯一の公認の遊里であった吉原遊郭の歴史は340年も続き、親の借金等で吉原に売られた女性達は朝から晩までこき使われ病気になると吉原大門からこっそり出され養生施設に送られたが、再び快癒する者はごく僅かで亡くなると三ノ輪の浄閑寺へ投げ込まれたと言う。

当時の遊女は粗食な上に、食生活も不規則で仕事柄不治の病気になる者も多く、病気で吉原の大門を出られても「大門を出る病人は百一つ」と言われたそうです。

死亡しても引取り手の無い遊女は、俗に「投込み寺」と言われる無縁の死人を葬る寺が三ノ輪の浄閑寺、新鳥越の西方寺があり、墓穴に投込んで終わると言う粗末な埋葬だったと伝えられます。

090509-2.jpg[カメラ]今もご冥福を祈る人達のお花が絶えません。

こうした公認の遊里がつい半世紀前(50年前)の昭和33年3月31日まで存在しておりました。

現在も格差社会が広がりつつあるように感じますし、自殺者が毎年3万人を連続10年も超えています。

何時の時代も政治の貧困でセーフティーネットが機能せず貧困と病気に苦しみながら寂しく死んでゆく人が居る事を忘れてはなりません。


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