鬼平犯科帳に登場する蕎麦屋で平蔵はどんな蕎麦を食べていたのか? [絶品グルメ情報!美味しい食文化]
墨田区が立てた高札には枕橋付近にさなだやと呼ばれる蕎麦屋があった事になっています。
物語では確かに平蔵は蕎麦やうどんが好きな様で、江戸中の蕎麦屋が登場します。
そこで江戸時代の人達はどの様な蕎麦を食べて居たのでしょうか。
蕎麦自体は江戸時代と今では大して違わないと思われますが、江戸時代には今の様に醤油が一般に普及して居ませんでしたからそばつゆが今と違って居た筈です。
墨田区に江戸時代の蕎麦を復刻させたお店が向島の花柳界の一角にございました。
お店の名前は「すずめの御宿」と言う可愛らしい名前のお店で、本格的な手打ち蕎麦でその中でも「江戸蕎麦」850円が江戸時代を復刻した蕎麦が食べられます。
上の写真をご覧ください、向かって右側が今では一般的な醤油仕立てのつゆで、左側が江戸時代のつゆで当時主流だった味噌仕立てのつゆです。
薬味は、味噌仕立てのつゆでには青い細ねぎと、大根おろし、更に手前の黄色い器にあるそば殻をお好みに応じて加えて食べます。
醤油仕立てのつゆには白いネギとわさびをお好みで加えます。
味噌仕立てのつゆは、蕎麦に合いますし江戸時代の人達は結構グルメだったのかも知れません。
そもそも醤油の始まりは、味噌ダルに溜まった赤い上澄みをお坊さんが調味料として使って見たところ、大変美味しい上に何にでも使える便利さから次第に普及しました。
江戸時代の蕎麦は当時の価格は八文だったと言われておりますが、当時は石臼で蕎麦を挽いてそれを手打ちそばにする訳ですから大変な手間と時間がかかっただけに美味しかったのではないでしょうか。
やはり現在でも本格的な手打ちそばは、腰があってつるつるした喉越しがたまりません。
味噌だれはカツオや煮干し、昆布等のだしに醤油の代わりに味噌を加える程度で作れると思いますが、味噌の種類が大変多いので、お好みの味噌で挑戦するのも良いのかも知れません。
墨田オンブズマンの空間放射線量計の値、0.143~0.137マイクロシーベルト(午後11時~午前0時)