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東日本大震災から4年目忘れてはいけない教訓!災害時に何が起こったか! [忘れてはならない東日本大震災]

20150311-1.jpg[カメラ]2011年3月11日東日本大震災発生から4年を迎えましたが、当時の記憶は忘れてしまうものですからもう一度振り返ってみましょう。

地震発生後鉄道は全て止まり、高速道路も通行止めとなり道路は大渋滞となり渋滞にはまってしまうと殆ど動きが取れず車中で一夜を過ごす結果となった方が多かったのではないでしょうか。

20150311-2.jpg[カメラ]地震発生から30分後には三つ目通りはこの有様でした。

20150311-3.jpg[カメラ]夜になっても殆どの車は10メートルも動く事が出来ずそのままの状態でした翌朝に道路を見ますと昨夜の渋滞はそのままで車は20メートル程度しか一晩で進めなかった事が分かりました。

こうした教訓から大きな地震発生後は車は車庫から出さない使わない事を徹底すべきです。

当時私はこの状態で車を車庫から出してしまうと再び車庫に戻れなくなる事を予想して車は車庫から出しませんでした。

渋滞にはまってしまいますと燃料を消費してしまいますが、燃料は約一週間に渡り給油出来ない状態でした。

先ずガソリンスタンドに燃料を積んだタンクローリー車が来ない、給油する為に長い時間並ばなければなりませんし、並んだからと言ってガソリンを買う事が出来ない事もありました。

20150311-4.jpg[カメラ]日が暮れ始めると主要道路は徒歩で帰宅しようとする人達の行列が出来てしまい、携帯電話はパンク状態で使えず情報伝達手段はこうした紙に書かれた張り紙で行われました。

20150311-5.jpg[カメラ]墨田区役所で一夜を過ごされる帰宅困難者の状況は写真の通りで配布された毛布にくるまり椅子に座った状態でした。

20150311-6.jpg[カメラ]こんな状況下で更に深刻な事態が福島原子力発電所で発生していました。

当時はテレビなどでは知らされませんでしたが、この時には福島原子力発電所の冷却水を循環させるボンプが停電で全て停止し、非常用発電設備は津波で水没し全く使えず原子炉がメルトダウンして居たのです。

写真は原子炉がメルトダウンし冷却水が高熱で分解され大量の水素が原子炉建屋内に充満し水素が爆発し建屋が吹き飛んだ瞬間の画像です。

この時に大量のセシウムを含む放射能が大気中に放出され半径300キロに渡り放射能がばら撒かれてしまいました。

被災時には情報は大切ですし、当時の民主党政権では原発の事故の状況が隠ぺいされ炉がメルトダウンしているにも係らずその様な事は無いかの様な情報統制が行われた事を忘れてはなりません。


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