明日はこどもの日何時の時代も迷子は付き物、江戸時代の迷子対策情報伝達の仕組み。 [私の旅日記]
中央区1丁目11番地先の一石橋の橋の袂付近にある一石橋迷子しらせ石標で石標には「満(ま)よい子の志(し)るべ」と彫られています。
不思議な事に一番下の部分には何かのマークの様なものが彫られていますが、何を意味するものか不明です。
ご存知の方がいらっしゃればお教え下さればと思います。
※読者の方から教えていただきました。
これは几(き)号水準点と呼ばれるもので、明治9年内務省が実施したイギリス式の観測点の印で、この「不」の字に見える上の線の所がこの場所の標高を測った観測地点である事を示したものだそうで、江戸時代には無く明治9年以降に彫られた事になります。
話は石標に戻りますが、江戸時代後半になるとこの付近は繁華街として賑わって居た様で人が集まる所では迷子が付き物です。
つまりこの石標は迷子探しの伝言板の機能を果たして居た様で、向かって右側の面が迷子が保護されて居る事を知らせる紙を貼り、左側が迷子を捜す側が迷子の特徴や連絡先を書いた紙を貼り付けて伝言板の様な使われ方をして居た様です。
こうした事から、江戸時代には各所にこうした情報交換の場があり、見ず知らずの人同士が情報をこうして交換していた事がわかります。
何時の時代も情報が集まる場所に人が集まるのか、人が集まる場所に情報があつまるのか断言は出来ませんがこれが両輪となって作用する場所が繁華街になるのではないでしょうか。
本日の都内の放射線量
線量率(dose rate)μGy/h(1グレイは1シーベルトに換算できます )
最大値 (max) | 最小値 (min) | 平均値 (average) |
0.0695 | 0.0620 | 0.0656 |
※東京電力福島第一原子力発電所の事故以前の測定値は、1時間あたり0.028~0.079マイクロシーベルトで推移しています。