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すみだ北斎美術館にまつわる不思議な事件!葛飾北斎生誕の地がいつの間にか動き出す! [開館後毎年5億円の赤字!すみだ葛飾北斎美術館]

20130520-1.jpg[カメラ]これは平成20年6月に撮影した亀沢1丁目にある葛飾北斎生誕の地を示した道標ですが、当時は腐食しないよう金属製の道標がございました。

20130520-2.jpg[カメラ]今年の4月にテレビ局の取材で葛飾北斎生誕の地の道標へ行って驚いた事に、確かにあった筈の道標が消えて居るので、テレビ局のスタッフと一緒に付近を探しても見当たりません。

そこで、付近の人に聞き込みをしていると近所の方が集まって来られ、ここにあった筈だが無くなって居ると大騒ぎになりました。

しかし、無くなってからだいぶ時間が経過して居るのかその形跡すら見当たらないのです。

更に、聞き込みをしているとそれは道路の反対側のお菓子屋さんの前に何時の間にか移動している事がわかりました。

20130520-3.jpg[カメラ]お菓子屋さんの店頭の前にあるのは、かっての道標では無く木製の高札(こうさつ)が建てられていました。

これには地元亀沢の人達は「北斎の生誕の地がこんなにいい加減に移動してしまうのは問題だ」と言う声が上がりました。

この高札のある所は、北斎美術館推進する北斎通りまちづくりの会の役員のお店だと言う事で住民の皆さんの怒りの声が上がりました。

それにしても元々あった場所から隣の町会まで移動してしまった事や、生誕の地そのものが曖昧な事に住民の皆さんからは「北斎を利用するのはおかしい」と言う声が上がりました。

そもそも葛飾北斎の生誕の地が「本所割下水」と飯島虚心の「北斎伝」書かれておりますが、実際には虚心の北斎伝は葛飾北斎の没後約120年程後に北斎を知る人の伝承を聞いて書かれたものです。

精密に調査すれば葛飾北斎が生まれた宝暦10年(1760)9月に近い本所割下水付近の古地図を参考にある程度場所が特定出来る可能性がございますが、利害関係で移動しているとしたら問題です。

墨田区の北斎美術館計画は、建設ありきで強引に進められ肝心の北斎の事などどうでも良く進められて居る感が否めません。

ここまでお粗末なら計画自体を止めるべきで、住居を93回も変えた北斎ですから、北斎館等は作らず区内の各地を移動しながら展示すべきです。

墨田区は北斎を顕彰すると言いながら、税金である予算の捨場として利用しようと言うのは実に悲しい事です。

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[ひらめき]墨田オンブズマンの空間放射線量計の値、0.144~0.139マイクロシーベルト(午後11時~午前0時)


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