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武者人形に見る日本の優れた文化を見直そう!地方や下町経済を支えた職人文化! [日本文化]

20140505-1.jpg[カメラ]今では5月5日はこどもの日ですが、それ以前は「端午の節句」と言われ男の子の日とされ、身を守る「鎧」や「兜」を飾り、男の子の健やかな成長や立身出世を願ってお祝いをする習慣がありました。

男の子が生まれて初めての節句を「初節句」と言いこの日には写真右側のちまきを飾って食べ、2年目以降からは画面左側の「柏餅」を飾って食べます。

これは、新しい芽がでるまで古い葉を落とさない事から「家督が途絶えない」縁起物として柏の葉が使われた柏餅が作られた様です。

20140505-3.jpg[カメラ]都心では住宅事情の関係でこの様に大きい武者人形は敬遠され傾向があるかも知れませんが、職人の技を伝承する為にも残したい文化ではないでしょうか。

私が子供の頃には実戦さながらの戦陣そのものを再現した複数の武将や白馬や馬印、幟、太鼓そして槍や薙刀、篝火や大量の弓矢があるにぎやかなものでしたが今ではこうしたものは殆ど見られないのは何故でしょうか。

当時子供ながらに驚いたのはその精巧な作りで矢の一本一本までが精巧に作られ、馬の鬣や目が実にリアルに作られ甲冑等は細い糸で組紐が作られ気の遠くなる様な細かい作業で作られて居る事でした。

バブルの前までは墨田区内にもこうした人形屋さんが何件かあり、特に武者人形は細かい部品が多く必要ですので下町の工場やメッキ屋さん塗装屋さん等では9月頃になると忙しくなったものです。

武者人形の起源は奈良時代とも言われ、当時は月の端(はじめ)の午(うま)の日に飾られたと言う説があります。

鎌倉時代の武家社会に移ると邪気を祓う薬草とされていた「菖蒲」を「よもぎ」と共に飾った風習から「菖蒲」と「尚武」をかけて尚武(武道・武勇を重んじる)の「尚武の節句」へと変遷した様です。

こうした文化が何事にも負けない勇猛果敢な人材育成に繋がり我が国の発展に寄与したのではないでしょうか。

墨田区の区議会を見て居ますと大勢で群れてお役人の言いなりに賛成しか出来ない付和雷同議員を見ますと器の小さな人間に呆れますし、何故区民の皆様の為に役人と必死に議論する覚悟が持てないのか情けなくなります。

これも戦後教育の恐ろしさかも知れませんし、松竹㈱のプロディユーサーの話では戦後GHQが松竹に来て歌舞伎の武家物の公演そのものが禁止される危機にあったと言うお話を伺った事があります。

これはアメリカが日本人の勇猛果敢さ対し危機感を感じ、教育や文化の見直しを図り従順で管理し易い人間に作り変えようとした結果、本来は国民をリードしなければならない政治家までもが管理されてしまって居るのではないでしょうか。

こう考えますと改めて、日本文化の素晴らしさや豊かさを感じますし、こうした職人が居て、これを支える経済的な豊かさや精神があった事が伺われます。

現代は大量消費社会からグローバル化社会に変わりこうした伝統的な慣習は失われつつありますが古い伝統を継承する事こそ本物の価値がありますので武者人形まで海外で生産され粗製乱造されない様に願いたいものです。


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