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北十間川耐震護岸工事で失われてしまう野鳥の住処とその住民達! [北十間川]

20140808-1.jpg[カメラ]北十間川の護岸の樹木に住み着いて居るこの鷺(さぎ)巣は北十間川の見晴らしの良い高木性の樹の上に設け、小魚等を食べて居ます。

20140808-2.jpg[カメラ]この鷺の他に純白の白鷺も時々来てその優雅な姿を見る事が出来ます。

歌舞伎や日本舞踊の演目で大変人気のある「鷺娘」は宝暦12年(1762年)4月、市村座の二代目瀬川菊之丞が「鷺娘」を長唄で踊ったのが最初と言われて居ます。

市村座は当初日本橋葺屋町にありましたが天保13年の火災と天保の改革の一環により浅草猿若町に移転しており、江戸時代にもこうした鷺が当時の江戸っ子に愛されて居た事が現在の生息状況を見ても伺われます。

この鷺も羽を広げると1メートルを超える大きさで優雅に飛び回る姿は豊かな資源が僅かながらも残されている事感じさせてくれます。

しかしながら数年後には東京都の耐震護岸の整備計画が実行されますと鷺の巣となって居た木が伐採され護岸の工事が行われると鷺の巣となる高木性の樹が無くなってしまう恐れがあります。

20140808-3.jpg[カメラ]これは北十間川で生まれたカルガモの親子です。

20140808-4.jpg[カメラ]カルガモのお食事風景で、干潮で北十間川の川底が露出し餌となるゴカイ等を口ばしで堀って捕食している姿です。

耐震護岸の整備では護岸から4メートルに渡り埋めたてられてしまいますのでこの川底が露出るする部分が消えてしまいます。

20140808-5.jpg[カメラ]マガモの子供がお昼寝をしている風景で子供が寝て居る間は母親は見張りをしています。

マガモは通常5~6羽の子供を連れて居る姿が見られますが、北十間川のマガモは2羽しか育って居ないのは隅田公園に住み着いたカラスに食べられてしまった可能性がございます。

都心に僅かに残る自然環境や江戸時代から愛された鷺さんの生活の場が失われる事が無い様に、自ら声を上げられない鷺さんに代わって皆様の声を東京都河川部に届けて戴ければ幸甚です。


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