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東京大空襲から70年日本は都市の住民を守れるのか?支那のミサイル攻撃力の検証! [脱中国!チャイナリスクを検証する]

20150313-1.jpg[カメラ]今から70年前の1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では一夜にして女性や子ども、ご老人と言った非戦闘員が10万人以上焼き殺された人類の歴史上始まって以来の大量殺戮が行われました。

東京大空襲から70年を経た今でも慰霊の行事や展覧会が行われ居ますが、戦争の悲惨さを伝えるだけで誰が何故どうやって非戦闘員が10万人以上を焼き殺したのかその原因や歴史的な事実が未だに伝えられていません。

東京への空襲はヘイウッド・ハンセル准将の時は、非戦闘員たる一般市民を巻き込む無差別爆撃に対して非人道的だという理念から軍需工場、製油所などの目標地点のみを攻撃する計画でした。

しかし、ヘンリー・アーノルド大将は戦闘員同士の通常の戦闘では米軍側の被害も多く出るので、それを回避しつつ日本の降伏を早めることが必要だと考え軍需工場の労働者の家や使用する道路、鉄道を破壊することが効果的だと考えました。

ヘイウッド・ハンセル准将が退任し1945年(昭和20年)1月21日カーチス・ルメイ少将が第21爆撃集団司令官に就任すると大規模な無差別攻撃が立案され効果を最大限にするため東京が選ばれ大型爆撃機B29が344機動員されました。

B29に搭載された焼夷弾は約38万発1,783トンに及び理論上M69焼夷弾1700トンで日本の主要都市を全て焼き尽くすことが可能とされる大量の焼夷弾が非戦闘員を殺戮する目的で投下されました。

当時の日本は制空権が奪われておりろくに反撃も出来ない状態だった事を知って居た事は空襲に使われた各B-29からほぼ全ての機関銃や弾薬を爆弾投下機を外して焼夷弾の搭載量を増やしたと言う記録からも分かります。

あれから70年経ちますと大量殺戮兵器がミサイルに変わって居ます。

支那の軍事予算の伸びは過去26年間で40倍と言う伸びで日本の防衛予算の2.7倍にも達し、日本が防衛なのに対して支那は攻撃力を強化して居ます。

その中でも仮想敵国に定められて居るのが我が国である事は言うまでもありません。

支那のミサイルが首都東京の攻撃に使えるものは射程距離から考えて約200発存在する事が上の防衛省の資料から読取れます。

当然日本の防衛もPAC3等の迎撃ミサイルを配備して居る様ですが、弾頭を多弾頭化したり同時に複数のミサイルを発射して目標も分散させてしまうとミサイル防衛も効果を発揮する事は出来ません。

おそらく多くの皆さんは無抵抗で平和な市民をミサイルで攻撃するなどあり得ないと思われる方が多いのではないでしょうか。

しかし、過去の長い人類の戦争の歴史を振り返りますと無抵抗で平和な市民程大量殺戮の被害者になって居る事を学ぶべきではないでしょうか。


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