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高さ37メートルの津波が襲った町、大量の海水で海がせり上がる!第3話 [忘れてはならない東日本大震災]

20110921-1.jpg[カメラ]湾を見下ろす小高い丘の上の木々に魚網に使う浮きやロープ等が引っかかって居ました、写真は気仙沼市唐桑町では37メートルの高さの津波がが襲い、小高い山や丘が見える風景が海水だらけの世界に豹変したと言う。

20110921-2.jpg[カメラ]この町には約50世帯が住んでおりましたが、うち47世帯が37メートルの大津波に飲まれ、写真の瓦礫の山になってしまいました。しかし、海水面が大きく引き始めてた状態を見て、危険を感じて高台に避難した人が多かった為に、僅か4名の行方不明者を出しただけで済んだそうです。

20110921-3.jpg[カメラ]鉄骨で作られたかきの研究所は水没したもの原型を留めておりますが、付近の木が赤く枯れている場所が、津波えを被った木で塩分で木が枯れてしまっています。

20110921-4.jpg[カメラ]全国からやって来たボランティアの人達で復興作業が行なわれており、写真は食事の為に炊き出しをしている光景です。

実はここは、世界的に知られるかきの産地です、壊滅的な打撃を受けながらも、かき養殖の復興がどの様に行われているのかは、次回の第4話で特集します。

被災した人達にとって、こうしたボランティアの人達の応援は大変助かるそうで、早期復興への期待感も養われますし、何しろ壊滅的な被害を受けて途方に暮れていた町の人に活気と復興への希望を与えた事は確かです。

[ひらめき]墨田オンブズマンの空間放射線量計の値。0.146~0.137マイクロシーベルト(午後11時~午前0時)


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気仙沼を襲った大津波で被災した人達への復興支援活動で仮設住宅を慰問しました 第2話  [忘れてはならない東日本大震災]

20110920-1.jpg[カメラ]三階建ての頑丈な木造住宅の3階部分まで津波が達している事がわかります、この付近一帯は住宅地ですが、近くに避難出来る高台が無く、地震発生から30分で津波の第1波が来たそうですから、地震発生直後に逃げなければ津波に巻き込まれてしまいます。

9月16日現在で気仙沼市では、死者1,017人行方不明者387人の多きな犠牲者を出していますが、こうした場所での犠牲者が多かった様です。

20110920-2.jpg[カメラ]仮設住宅の人達に集会所で専門の医療チームが、鍼灸マッサージの治療を行なう事をハンドマイクで呼び掛けました。

瓦礫の撤去等の過酷な作業で腰や肩を痛める人が多く、仮設住宅を回り終わると多くの人達が集会所に来て下さり、整理券を出さなければならない程盛況になってしまいました。

20110920-3.jpg[カメラ]集会所での鍼灸マッサージ治療の光景で、鍼灸師の世界で有名な竹村文近先生門下の鍼灸師が治療に当たり大変好評でした。

20110920-4.jpg[カメラ]集会所の壁には子供達が書いた皆で頑張ろうと言う強い意志が覗われる絵が張られており、付近にはSMAPの香取慎吾さんらの芸能人の方々が訪問された時の写真が張られて居ました。

前日に一ノ関のホテルに行く為にタクシー乗車した時に運転手さんが、気仙沼では食べるものが手に入らないかも知れないと言うので、乾パンと水を持って来ましたが、仮設村にはコンビニがありおにぎりやパンを買う事が出来ました。

この後、高さ37メートルを越す津波が村を襲い村が壊滅してしまった村へ行きました。

詳しくは、第3話をご覧下さい。

[ひらめき]墨田オンブズマンの空間放射線量計の値、0.150~0.143マイクロシーベルト(午前1時~2時)


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死者1017人行方不明者387人を出した気仙沼を襲った大津波の威力!第1話 [忘れてはならない東日本大震災]

20110918-1.jpg[カメラ]気仙沼漁港の市場の南端部ですが、激しい津波の威力で鉄骨がグシャグシャに折れ曲がり、地盤全体が1メートル以上陥没してしまった為に水没しています。

気仙沼市では9月16日現在で、死者1017人行方不明者387人と言う大きな被害者を出しています。

地震発生から暫くすると、海面の海水が引くと言う前兆が現れ、これに気付いたて避難した人と、津波の発生を甘く見た人との間で生死の境目となったそうです。

20110918-2.jpg[カメラ]3月11日の震災の日から半年以上経っても瓦礫が散乱しそのままになっていました。

こうした瓦礫の中から多数の遺体が発見されたそうですが、遺体の損傷が酷く身元を特定するのが大変困難だったそうです。

20110918-3.jpg[カメラ]20メートル近い津波が押し寄せ付近の建物が流され頑丈な建物だけが当事の町並みを感じさせます。

何処を見ても瓦礫だれけで、先ずこの瓦礫の撤去をして盛り土をして整地し、区画整理もやり直し、上下水道や電気、道路工事が完了した時点で建物の建設と言う流れになると思いますので、復興には多少時間がかかりそうです。

20110918-4.jpg[カメラ]画面中央の建物は一階と二階部分が全て流され、付近の建物は土台だけを残して全て流されて居ます。

地盤の沈下で町が冠水してしまい、土を盛らなければここに再び建物を立てる事は到底無理だと感じました。

地元の人達は早く復旧してこれまでの生活を取戻そうと言う努力をしているものの、政府や自治体の方針がしっかり定まらない為に、手付かずで放置せざるを得ないのが現状です。

やはり、国が莫大な費用を出して復興するしか方法が無いと思います、不要不急の無駄なハコモノ等を作っている場合では無いのではないでしょうか。

[ひらめき]墨田オンブズマンの空間放射線量計の値、0.158~0.138マイクロシーベルト(午後11時~午前0時)


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