高架リニューアル工事で失われる昭和初期の風景!昭和6年開設の東武鉄道隅田公園駅! [墨田区の名所・旧跡]
これは東武伊勢崎線の隅田公園の前の枕橋と源森橋の中間点にある1958年(昭和33年)に廃止された隅田公園駅のなごりをとどめる駅の跡です。
建設用の足場やシートが掛けられているのは東武伊勢崎線の高架リニューアル工事が行われるそうで、以前ここにあったプレハブが取り去られた為に、昭和6年開設された東武鉄道隅田公園駅の入り口の外観がこの様にモダンな作りであった事が伺えます。
レールを曲げて作られた当時ひさしがあった部分の骨組みから当時はここにスレートの屋根があった事が想像されます。
向って左が駅の出入り口で手前は駅員さんが務める事務所があった様です。
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲によりホーム焼失したそうですから、焼けた柱をその後黒く塗ったのかも知れません。
こちらの柱は当時のままの色で残され、形状も当時流行して居たアールデコ調の柔らかい曲線で作られて居ます。
昭和初期には、旧業平橋駅(現在のとうきょうスカイツリー駅)が浅草駅と呼ばれて居たそうで、昭和6年に線路が現在の浅草駅まで延ばされその中間駅として東武鉄道隅田公園駅が作られたそうです。
開設から14年後には戦争による物資節約から1943年(昭和18年)に、不要不急駅整理の対象となり休止され、そのまま営業再開する事は無いまま、1958年(昭和33年)に隅田公園駅は廃止されました。
以来約55年間ひっそりと時代の流れから取り残された空間でしたが、高架の耐震補強工事が始まればこうした姿は全て消えてしまうかも知れませんのでせめて写真で残そうと思いますした。
欲を言えば、持ち主の東武鉄道さんがこの駅の外観をリニューアルして博物館かカフェレストランにして下さると面白いのではないでしょうか。
このアールデコ調の装飾は大変流行しましたがデザインや加工に手間がかかるので高価な筈です。
しかし、各地でこうした建物が作られた事は、当時は大変景気が良かった事をうかがわせますし、当時の人々が未来への夢を託した事を示すデザインとも言えます。
昭和初期を知る人達はもちろん戦後世代の私でも人のぬくもりを感じ、何故か懐かしく、将来への希望に満ちた夢を与えてくれるデザインだと思います。
墨田オンブズマンの空間放射線量計の値、0.160~0.155マイクロシーベルト(午後11時~午前0時)