もうすぐ100年!両国公会堂を守ろう!第4話 復元すれば貴重な文化遺産になるお宝! [もうすぐ100年!史的建造物両国公会堂を守ろう!]
大正15年(1926年)に建築された当時の本所公会堂について今日は解説してみたいと思います。
ご覧の写真をご覧ください、当時として最先端の技術であった鉄筋コンクリートを駆使した造形と採光の為に縦長に取られた上に長い窓は西洋建築様式を備えて居ます。
この部分にはホールに繋がる階段があり左右シンメトリーに配置され、左右の階段がからホールに出入りする様に作られています。
少し見にくいのですが大正時代に本所公会堂を設計者して森山松之助氏の計画図にはこの窓と階段の構造が描かれています。
内部から見ると現在は電源が切られておりますので照明が一切入らない状態でも採光がしっかりと取れる構造になって居ます。
昭和43年に両国公会堂の杜撰な大規模な改修工事が行われ天井が取り付けられてしまった為に圧迫感のある状態にされてしまいました。
これは更に階段を上がりますと舞台下手側の舞台袖に入りる部分ですが、舞台で使う大道具等が一時的に置けるスペースが確保されています。
舞台下手側の舞台袖で、ロープがあるのは舞台装置を吊るすハンガーを上下に操作する為のロープで吊り物の重さに合わせ重りを取り付けてバランスを取り操作し易くする構造になって居ます。
左端に見えるの木の部分が舞台のプロセニアム・アーチ(proscenium arch)と呼ばれる観客から見ると舞台の額縁の様に見える部分の一部です。
続きは第5話で取上げますが、10年以上も墨田区が放置している建物ですが内部は綺麗に保たれて居ます。
ここへ来て真っ先に感じた事は、当時奥山区長の時にハコモノを次々に作り墨田区の財政が東京23区で最悪になったハコモノ行政を思い出しました。
この両国公会堂も当時建設されたトリフォニーホールの犠牲にされた経緯が伺われます。
トリフォニーホールの建設費は当時約199億6,300万円でしたが、もうそろそろ大規模な修繕が近付いており、その大規模修繕費用が25億円もかかるそうですから呆れたものです。
またトリフォニーホールの大ホールは約2千席と余りにも大き過ぎる為に区内の殆どの団体は使う事が出来ず、曳舟文化センターを使わざるを得ず中々会場を取る苦労します。
やはり官僚利権政治は終わらせなければこうした歴史的建造物は次々に破壊されてしまい、多額の税金が新しいハコモノの建設に使われてしまいます。
これを変える為には役人の出す議案何でも賛成(自民党、公明党、絆(無所属の会)、民主党、みんなの党)の会派の議員を如何に減らせるかにかかって居ると思います。
今の閉塞した民意が反映されない政治の原因はここにあります。